『しかめっ面にさせるゲームは成功する』を読んで思ったこと

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献本頂いたゲームデザイン本『しかめっ面にさせるゲームは成功する』を読んだ。
しかめっ面にさせるゲームは成功する 悔しさをモチベーションに変えるゲームデザイン
イェスパー・ユール
ボーンデジタル
売り上げランキング: 16,015
 「プレイヤーは『失敗は嫌』だと思うくせに、ほぼ必ず失敗が待ち構えているゲームを進んで遊ぼうとする。なぜなのか」という疑問を最初に提示して始まる本書。

「人は小説や映画などの芸術作品で登場人物が苦しんだり悲しんだりすることを見るのが当たり前になっているが、それはなぜなのか。また、ゲームで体験する失敗はそれとは別なのか」「そもそもゲームのゴールはどこにあるのか。プレイヤーはゴールに辿り着くために何をするのか」「プレイヤーがわざと失敗する状況がある事例」「プレイヤーの感情とキャラクターの感情が一致しない事例」
…といった感じで「ゲーム」と「失敗」に関する話が詰まってます。


翻訳本であるのと自分の読解力の低さのため完全に理解できていない部分もあるけど、たぶん意見や事例を集めた本で、明確な結論は示されておらず「これを起点に自分で色々考えてみる」という趣旨の本だと思います。

というわけで、『しかめっ面にさせるゲームは成功する』を読みながら思った事をメモったものを、整形して以下に記します。本書と関係ある話もあれば、あまり関係無い話もあります。

なぜ人は悲劇的な物語を求めるのか

なぜ人は「悲劇的な物語」や「物語上での人の死」を求めるのだろうか。本書内でも色々な説が紹介されていた(P25)けど、自分的には、2つの理由によるものだと思った。

理由1:「刺激」を求めているから

例えば炭酸飲料に含まれる「炭酸」。これ自体は口に刺激を与える効果くらいしかないだろう。たぶん痛みに近い感覚だと思うけど、人はなぜこれを進んで口にするのだろう。同じように「辛み」「サウナ」「水風呂」「ジェットコースター」「バンジージャンプ」なども、本来だったら避けたがるはずのネガティブな感覚を味わうために自ら進んで行う。

なぜそれらを進んでするのか。自分の解釈では「痛みや危険を感じることでアドレナリンや脳内麻薬的な何かが分泌される」「危険を回避するために脳や身体が活発に働く」といった効果があるからなのだと思っている。それを安全な範囲で(あるいは擬似的に)体験することで興奮状態というプラスのみが残る。

そもそも現代の人間は命の危険を感じるような場面に遭遇することはほとんどなく平凡で変化のないぬるま湯のような生活を送っている人がほとんどだろう。コーヒーとドーナツを交互に食べるような感覚で、痛みや危険という名の「苦み」を楽しんでいるのだと思う。

理由2:生きるための情報を得るため

例えばゴキブリと相対したとき、嫌悪感を強く感じているにも関わらずじっくり凝視してしまったことはないだろうか。それ以外でも、路上の猫の死体や自分で排泄したウンコなどをまじまじと眺めてしまったことがあるはず。

それらは、嫌悪感を感じる存在であると同時に「生きるための情報を得るための重要な手がかり」なのだと思う。

ゴキブリはしっかり見ることで、どこに逃げるのか見逃さないようにする。猫の死体は、そこで何が起こったのか、付近にまだ危険があるのではないか、など、安全を確認するためによく観察する必要がある。ウンコは、自分の健康を推し量るための重要なバロメーターである。

『バトルロワイヤル』系の人が死にまくる物語や、あるいは『エイリアン』のような化け物に襲われる物語を見てしまうのはこの本能が元になっているのだと思う。


どちらの理由も、自分が今までの人生で得てきた知識を元に勝手に推測したものなので間違っている可能性もあるが。少なくとも自分の知識では、本書が最初に提示したような矛盾はなく 、「人間は本能的に悲劇や失敗を求めている」のではないかと思った。

ただ、これは「ゲームでプレイヤーが行う失敗」には当てはめられない気がする。「刺激が欲しいからわざと死ぬぜ」みたいなことはしないはずだから。

現代のゲームにおいて「失敗させる」ことは必要なのか

前の節とは別に「ゲームでプレイヤーが行う失敗」のことも考えた。

本書では「最初に失敗させた方がゲームとしての評価が高くなる」という実験結果を提示している(P24)。確かに、シングルプレイゲームは失敗させた後に成功させることで達成感をより強く味わわせることができるのは間違いないと思う。

でも「失敗させずに達成感を味わわせる」ということも可能だと思う。

例1:見た目をゴツくする

例えば「ゴブリンが出てきたので戦う」ではなく、「“地獄の底から這い上がってきた業火を纏いし黒龍“と戦う」の方が気分が盛り上がる。もしこの黒龍がゴブリンと戦うのと同じ程度の攻略難易度だったとしても、プレイヤーが持つ常識によって「コイツは見た目からして強そうだ」と認識するので、倒した時の達成感は高くなるだろう。(『モンスターハンター』シリーズがこれに当たる)

例2:数を増やす

数を増やす手もある。「ゴブリン1体を攻撃して倒す」よりも、「ゴブリン50体の群れをまとめてなぎ払う」の方が間違いなく気持ちよい。もちろんこの際も、ゴブリンの攻撃頻度や攻撃力を減らしたりプレイヤーの攻撃範囲を思いっきり広くするなどして実際の難易度は変わらないように調整する。(『三国無双』シリーズがこれにあたる)

例3:リスクを提示する

あるいは、「判断を誤るとキャラがロストして永久に消滅するぞ」と事前にリスクを説明した上で、普通にプレイしていれば事実上ロストすることはまずないバランスにする、という手法もある。「ロストするかもしれない」「ロストしたらマズい」と思わせ緊張感を与えることで、達成感をより強めることができる。(『艦これ』がこれに該当する)


ただ、今挙げたような手法は、おおざっぱに言えば「ウソ」である。プレイヤーによっては真実に関係無くこういったウソを楽しめる人もいるが(むしろそういうプレイヤーが大多数だと思うが)、ウソであることに気付いてしまったら効果がなくなるどころか、プレイヤーをゲンナリさせてしまうことにもなりかねない。(ヘビーゲーマーには特にバレやすいだろう)

そのような「見かけ上のウソ」は見抜かれやすい。一方、「プレイヤーが失敗した」というのは紛れもなく「事実」である。レベルデザインやゲームバランスをうまく調整し「最初に失敗させた後に成功させる」という展開を発生させやすくしているゲームも多いが、少なくともプレイヤーは事実として受け止めるはずだ。

だから、プレイヤーを適度に失敗させることは、(ゲームにもよるが)必要なのだ。

プレイヤーの価値基準を定めるために「失敗させる」

アクションゲームのステージがある。もし、このステージを初見でクリアできてしまったとしたら、プレイヤーはどう感じるか。「自分が上手いからクリアできた」のか? 「ステージが簡単だったからクリアできた」のか? おそらく判断ができないだろう。

では、ステージの道中で何度かプレイヤーを失敗させたらどうなるか。プレイヤーはしかめっ面になりながら「このステージは簡単にクリアできるものではない」と認識するはずだ。そう認識させた後にクリアさせることで、「こんなに難しいステージをクリアできた! おれ頑張った!」と思わせることができるだろう。

このように、プレイヤーに失敗を与えることで「価値の基準」を定めることができるのだ。

手前味噌だけど、拙作『コインカスケーダー2』が「あらかじめプレイヤーに価値の基準を提示する」手法を活用したゲームになっているので、ぜひ体験して頂きたく。

ちなみに、他人と一緒にプレイするMMORPGやソシャゲは、その価値基準を「他のプレイヤー」が与えてくれるわけだ。「自分より弱いプレイヤーが沢山いる」「他のプレイヤーが持っていないレアアイテムを持っている」「ゲーム内ランキングで上位にいる」などなど。だからシングルプレイゲームと異なり、これらのジャンルではプレイヤーに失敗を経験させる必要はないかもしれない。(ゲーム内に他人と比較する仕組みが搭載されていなかったとしても、今はSNSで繋がっているため自動的に比較が発生することになるだろう)

プレイヤーが努力を放棄する理由

また別の話。本書で「練習を怠ったプレイヤーは、失敗しても意欲を損なわなかった」という説明があった(P45)。「努力していないんだからできなくて当然さ」などと、達観&クールを決め込むことで自己防衛している、ということみたい。

努力と成功失敗の関係を並べてみると、こうなる。

A:努力してないのに成功(あり得ない or 目標が低すぎるだけ)
B:努力して成功(しかし成功が必ずしも保証されるわけではない)
C:努力してないので失敗(「しかたないよね」と言える)
D:努力したのに失敗(言い訳できず、自分の能力の低さを突きつけられる)

確かに考えてみるとDのパターンが一番絶望的だ。自分の能力の低さを自覚している人は、そりゃあCを選びたくなるだろう。

ゲームの難易度を上げすぎてしまった場合の結末がまさにこれだ。クリアが絶望的だと判断したプレイヤーは、Dを回避するためにCを選択してしまう(=ゲームを辞めてしまう)のだ。

ゲームがプレイヤーに体験させたいのは一般的にBのパターンだ。そのためにはプレイヤーに失敗を経験させつつも、心が折れない程度で打開できる絶妙な難易度に仕上げなければならない、ということなのだ。(あっ、ごくごく当たり前の結論に辿り着いてしまった)

ちなみに最近は、Aパターンの「努力ぜずに成功」パターンを求めるプレイヤーも増えてきていると感じる。この場合、上の方で書いたような「ウソをつくテク」が有効に働くのだと思う。(低いハードルを飛ばせて滅茶苦茶褒めるとか、めっちゃ演出を豪華にするとか)


唐突に現実世界の話をするけども。

チャレンジできる期間や回数に制限のある「受験」や「オリンピック」などはともかくとして、「絵の上達」や「ゲームの制作」などの何度でも挑戦可能なチャレンジには「失敗」が存在しない。「まだ成功していない」があるだけだ。

つまり最悪の結末であるはずの「努力したのに失敗」パターンを何度も繰り返すことで、いつか必ず、理想的なゴール「努力して成功」にたどり着ける、ということなのだ。

それが何年先なのか、何十年先なのかは分からないけど、セーブデータ蓄積型のゲームと同じように、やればやっただけ強化される、いつか必ずクリアできるチャレンジなんだ。だから難しいこと考えず「スタミナが溜まったら適当なクエストで消化するか」程度の気持ちでゲーム制作をまったり続けてみたらいいじゃない。

…なんてことを自分に言い聞かせつつ、おしまいとします。

こんな感じで、色々考えるきっかけになりました。『しかめっ面にさせるゲームは成功する』、良い本でした。

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